ヨーロッパへ
 昭和46年早春、羽田発のJALに乗り込む。当時のメモにヨーロッパ一周¥581,100(含むユーレイルパス)とある。ずいぶん贅沢というより昨今の航空券事情が有り難いのだ。

「金の続く限り行ってこい、授業は気にせんでよろしい!」
いい時代だった。有馬大五郎学長の言葉が嬉しかった。
「指揮者の留学は技術探究の声楽や器楽とは大きく違う、一ケ所に居らずに幅広く学んでこい」
12年もウィーンに学んだ学長の仰る事だ、肝に銘じておく事にした。

 その5日前、日本青年館で大勢の先輩・友人がパーティーをしてくれた。その席でドルをどっさり頂いた。
「これを足しにして存分にやって来い」
涙の出る程嬉しかった。
「一生懸命勉強して来ます」
我になく殊勝な挨拶をした。

 錨を下ろす場所を求めてコペンハーゲン、ハンブルク、ベルリン、アムステルダム、ロンドン、パリ、デュッセルドルフ、ケルン、ボン、フランクフルト、ウィーン、ミュンヘン、チューリッヒ、ジュネーブなどを下検分しローマに入る。オペラのシーズンは6月末まで、1,2本しか観る事が出来なかった。オッフェンバッハの[地獄のオルフェ=天国と地獄]の感想を日本の雑誌に送った。

 <…新演出のオッフェンバッハを観た。観客期待のフレンチカンカンがレザースーツのモダンダンス(ウェストサイドストーリー風の)に変わっている。お客は承知しない「オリジナーレ、モルトベーネ(いつものがいい!)」と口々に言いつつ口笛を吹く、席を蹴って帰る、ロビーで激論を闘わす、まったくもって羨ましい…>かなりショックを受けている様子、さらにこんなことも言っている。

 <…日本だったら面白くなくても黙って聞いているだろう。共感してもいないのにカーテンコールまでおねだりしかねない。ここに居る人たちは“音楽を呼吸して”いる。それにひきかえ日本のクラシック音楽は高い棚に置き忘れられた外国土産の人形みたいなものだ、ホントは素敵なのに残念ながらそういう風に見えない、誰かが棚から下ろして埃を払ってやらないと…>

 30余年信条は変らない。
   [俗に堕すことなく、しかも楽しむ] 
 生涯のテーマと決めて今日まで来た。障害や軋轢がなかったとは言えない。

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