菅野辰三郎さん、吉田正志さん
 1964年11月東京よみうりランドをめぐる事件。

 当時、僕は先生(岡本敏明教授)から命ぜられて助手や時には代理としていろいろな仕事に行くようになっていた。指揮法講座のピアノを弾いたり、「四国の高校のコーラス指導に行ってきなさい」などなど今思うとあれは貴重な体験訓練だった。
 
「修養団という社会教育の財団法人に行って手伝って来なさい」
と先生に言われ何をするのかも分らずに行った。お訪ねした[菅野辰三郎さん]は地方から来た青年達にキャンプや集いを指導するベテランだった。
「はい、ここで新人歓迎の歌」とか
「次の講師が遅刻だ、歌わせて時間を稼げ」など気の抜けないシーンの連続であたふたさせられた。そうこうするうちに
「こんど5000人の集いがある、フィナーレを歌で飾りなさい」といわれてよみうりランドに連れて行かれた。坂本九はじめ大勢の芸達者にかこまれて少しビビったけれども、それでもきれいな夕焼けの中5000人のハーモニーを響かせることが出来てホッとした。当日、本部のテントで自己紹介し合った一人が[吉田正志さん]だった。

「日本レクリエーション協会の吉田です」
その日の名司会者は秋田訛りがとても暖かい人だった。
「我が協会では[学苑]を毎月御殿場でやっています、指導に来てくれませんか?」
そういう仕事の道をあるくつもりは毛頭なかった。指揮者になろうとしているのにキャンプで歌の指導は懸け離れ過ぎている・・・でも、御殿場に行ってみた。

 大学時代の演奏行脚、ライツ神父、田無のシスター、日本レクリエーション協会と修養団、ロンドンのERMA、遡って子供の頃の日曜学校と児童劇団、これらが一挙にリンケージして僕の進むべき道を明確に指し示すことになろうとはその時は未だ知る由もなかった。

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