カール・ライツ神父
 1956年だったと思う。
大学の先輩が吹奏楽指導の仕事を紹介してくれた。吉祥寺カトリック教会のボーイスカウトのバンドだった。
僕よりふた回りも大きな外人さんが出て来ていきなり
「ジン ! 待っていたよ」
と、大きな手だった。そして、音大での専攻は何か、楽器は演奏できるか、作曲は出来るのか、週に幾日そして何年間ここに指導に来たいか、などと矢継ぎ早にとても上手な日本語だった。
 [神言会]の神父さんでライン河の畔に生まれたドイツ人だった。歳は多分50くらい、威厳のある人でちょっと怖い気がした。

 毎週土曜午後の練習が始まった。結構上手く吹くのがいるかと思えば楽器の構え方すら分らないのもいる。楽器も神父さんがドイツから取り寄せた立派なものから何年使っているのか分らないがたがたのまで、パートごとの人数のバランスも悪く買って来た譜面が使えない、いい音になどなりっこない。神父さんに訴えた。
「とても無理のようです」
「あなたがこの子たちに合う編曲をすればいい」
仰天した。このガタガタの編成でいい音になるように書け、というのだから。

 もっと驚いたのは、始まってなんか月もしない頃いきなり
「こんど井の頭公園の野外ステージでやります」
「まだ2,3曲しか出来ていないのに」
「それでいい、楽しい音楽会やりましょう」
メンバーも僕も必死だった。夏の夕方に相応しい曲を編曲して大急ぎでさらった。
「お客さんが一緒に歌うものも必要」
これも編曲してどうにか間に合った。
終って片付けているとライツ神父がやってきて
「来週もやるか?」
それだけはかんべんしてもらった。

 このバンドへは10年近く通ったかも知れない。その間、神父は色々な事を教えてくれた。なかでも
[音楽は作る人と演奏する人と聞く人が一体となってはじめて完成される]
という話は何10回聞かされた事か。

 このあと、この教会のガールスカウトに歌の指導をする仕事が加わり、やがてそれが縁で田無のカトリック修道院との音楽の付き合いへと拡がる事になるのだがその話はまたの機会に・・・   

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