富岡律郎先生
 戦争が終わって戻ってきた横浜で鶴見の下野谷(したのや)小学校に転入することとなった。
「どこに疎開していましたか?、何年生だったの?」
 命からがら帰って来たのだから転校の書類もなくすんなりと3年生にはいることができた。
 教科書もない、給食も未だない、ガランとした教室の中に薪のストーブだけが暖かかったことを今でも忘れない。あちこちの田舎から戻って来た児童で教室は一杯、信じてもらえないと思うが80人以上も居たと思う。もちろん机や椅子が足りる訳もなくみんなストーブの周りにじかに座っていた。
 受け持ちは小柄な男の先生だった。分厚い本を一冊だけ持って来た。ギッシリの満員でざわざわしている中、先生はそれほど大きくもない声で長い長い小説を読んでくれた。毎日毎日続きを読んでもらっている内にクラス中が物語のとりこになってしまった。
 国語も算数も理科も音楽も何にもなくて、朝からお昼近くまで時々休んでは小説に夢中になった。9歳か10歳の子供が熱中した小説、それはヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」だった。
 それから30年が過ぎて、ブロードウェイでジャン=バルジャン役やコゼット役の歌を聞きながら僕はあの時のストーブの火の色、大勢の友だちのホコリくさいにおい、背中が少し丸い先生の声なんかを思い出していた。
 とみおか・りつろうせんせい、今、天国のどこかに・・・

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