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Jin's Diary&Essey

  #955
初夢
Date: 2018/01/03(Wed) 
 目覚めた時、「夢を見た」ことは覚えているけれどそれがどんな内容だったか、まではなかなか分からないものだ。
ところが、ゆうべ ( 今朝がた ) 見た夢はお雑煮を頂いている今もはっきりと覚えていて、この調子ではきょう一日この事で悩むことになりそうだ……。その夢とは・・・

 どこかの地方で、かなり年配の男女ばかり100人程集まったコーラスの指導をしている情景だった。普段だったら「 ガミガミ」 云う事は控えてなるべく穏やかに「 噛んで含めるような 」言い方を心がけ、相手が " 萎縮 " して歌えなくなったりするような事の無いようにしているのに、夢の中の自分は何故かカンカンになって怒鳴りまくっている ! 。
 「誰がこんな曲を選んだのか ? 」「なんでそのような気の無い歌い方をするのか ? 」「どうして 〃 」などと容赦なく言葉をぶつけている。云っている自分が「このような振る舞いは珍しいな 」と思いながら怒鳴っているので手がつけられない。

 怒鳴り声は続く、「人間或る年ともなれば " 何故生まれて来たのだろう ? " 何処から来て何処へ行くのだろう ? 何を考えるべきか、どう生き どう死すべきか ! ! 」あなたがたはどのように考えているのか ? そのためには音楽とどう向き合い、何をそこから吸収しようか、己の姿をこの音楽にどのように投影しなければならないのか ? 云々云々…と止まる所が無い。

 オーケストラを指揮しているときは、あまりそのような悩みに襲われる事がない。なんとなれば、立派な作曲家の作品だけに音楽がしっかりしている事、作った人の心根がしみじみと語りかけて来て対峙する事や尊敬する事が苦労無く出来る。ところが合唱曲の場合、ちまちまとした個人的な感傷ばかりが表に出て来ることが少なく無く、満足感に乏しい。

 だからと言って、第九とミサ曲ばかりもしんどい、シューベルトやシューマンやグリークやその他、歌い甲斐のある音楽も少なくないけれど、日本では邦人新作ばかりが跳梁跋扈しておりそのうえ歌う者を難行苦行させ、そのテクニックを競って金賞だ銀賞だ…などと下らん争いの道具になってしまっている。

 信仰心が特殊な国民性と云ってしまっては大袈裟かもしれないが、そこら中の神仏にわけも無く頼り切って、クリスマスが済んだら除夜の鐘、その足で初詣 ! と云うのが普通だからかもしれないが日本製の合唱曲には「祈り」の要素がごくごく薄いように思えるのは僕だけか。

 作曲家に喧嘩を売るつもりなど決して無いけれど、しかしなんとか打開したい一生の課題が夢に迄現れるとは・・・