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Jin's Diary&Essey

  #952
格好満点、中身・・・
Date: 2017/12/30(Sat) 
 ・・・零点 ! " という言葉は子どもの時から周りの皆も使っていて自分もその時々の年齢に応じて「自戒」の意をこめて使っていた。とは言うものの大人になる迄は文字通り「出来もしないくせに格好付けるなよ ! 」と、まるで「いろはかるた」のひとつくらいの意味でしか無かった。

 その言葉が重さを帯びて頭から離れなくなったのは、二十歳を過ぎて「指揮者」という職業をスタートした時だった。母校には「指揮科」と云うコースは無かったが、( それは幸いな事だった ) 指揮法という若い駆け出し講師の授業があり、いわゆる図形を黒板に書いて示しそれをなぞらせだけのような今から思えばまるで非本質的を通り越して「噴飯もの」の授業で嫌いだった。
 
 主任教授・岡本敏明の授業では合唱や器楽アンサンブルの指揮をさせられる事があったけれど、そちらはまるで「図形」などは目的でなく、「いかに解釈し伝えるか」…が指揮の使命。とのみ教えられた。若い講師の「格好だけ教える指揮法」も詰まらなかったが、大先生の「解釈を伝える」ことをいかにして相手に伝えるか、もテクニックが無いものにとっては難儀な事だった。

 30歳で東京交響楽団をチャーターしてデビューする迄の間、いろいろと指揮の勉強を重ねた。内外の大指揮者が著述した「名著」と云われるものはすべて読破した。来日した外国指揮者のリハーサルには欠かさず通った。何人かの指揮者のレッスンを受けもした。困った事に研究を積めば積む程に手が動きにくくなりギクシャクとして来た。
 
 デビューのあと、ヨーロッパに何度も通ってE.ヨッフム、M.ロストロポヴィチはじめ多くの指揮者のレッスンやリハーサルや本番を体験した。そうするうちに「指揮と云うものは格好ではない」ということがじわじわと分かり始めた。このようなことをしている内になんと50年近くが経過していた。

 60歳を過ぎる頃、ふと気が付くと「余り動かない」で相手から音楽を引き出す事が出来ている事に気付いた。「音楽の内容を把握しそれを演奏する者に伝える事」というあの教授の言葉が今更の如く脳裏に甦った。それから更に20年が経過した。
   
   " 格好満点 " をようやく卒業したように思う。