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Jin's Diary&Essey

  #949
畏友・白井道夫逝く
Date: 2017/12/06(Wed) 
 くにたち音大でのクラスメート、ホルン奏者の「白井道夫」君が急逝された ! との報せが入ったのは土曜日の深夜だった。

 卒業して群馬交響楽団 ( 例の " ここに泉あり " の映画で世に知られた ) に入ってプロとしてスタートしていた彼から電話が入ったのは恐らく1959年だったと思う、「明日の本番の指揮者に穴があいた。直ぐに飛んでこい ! 」勿論の事すっ飛んで駆けつけた。 ( 曲目はたしかグリーグのペールギュントその他だった。) それが縁で、有り難いことにこのオーケストラの一番の本業であった「学校訪問コンサート」の指揮を3年程やらせてもらうことになった。

 彼はホルン吹きとしてぐんぐんと腕前を上げて行き、定期演奏会でも重要なソロパートを吹くようになった。なん10年かが過ぎて彼はオーケストラを退団、近郊の渋川市に居を構えて市民の為に音楽で奉仕する仕事に変わって行った。

 少年達の為のオーケストラを作ってMozartをはじめとする名曲ばかりを選んで教えた。かたわら、お母さん達のコーラスの指導にも携わって、こちらも流行りの通俗的な軽い歌ではなく、キチンとした「良い ( 善い ) 音楽」を選ぶようにしながら渋川市全体の音楽レベルの向上に貢献し続けた。

 そんな彼を常に側面から援けていたのは、優れたヴァイオリン奏者の「よし子夫人」ピアノが巧みなお嬢さん「美奈さん」だった。渋川市のいろいろな音楽シーンに家族で奉仕する姿を見て僕は「羨ましく、理想的な国際的光景」を感じていた。
お父さんだけ、或はお母さんだけ、娘だけが音楽活動する姿は珍しい事ではないが、家族3人で一つの仕事に邁進するのはそうざらには無い事だから。

 彼にはもうひとり海外で活躍するビジネスマンのご子息 ( 道昭氏 ) が居られ、きのうの家族葬の最後に代表して挨拶を述べる様子を見て「ああ、白井道夫という男はなんという素晴らしい家族を作り上げたのか」という感動の気持で一杯になったのであった。

 安心して天国に昇れ ! そして向こうで音楽一杯の日々を更に続けよ ! と祈りつつ帰途についた。