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Jin's Diary&Essey

  #916
ほどほど の続き
Date: 2017/05/17(Wed) 
 前回、奥歯に物が挟まった状態でホントの事を告白する一歩手前で終っていた。それが気に懸かってこの5日間ずっと考え続けていた。今朝になって、やっぱり隅々迄書かなければ…ということになり、ここに書く。

 結論から先に言うと、僕は「ほどほど」が守れなくてほんとは何事にも「どっぷり」と入り込んでしまうのが大きな欠点なのだ。前回、・・・「ほどほどの人生」を送らせてもらった両親・先生・良き友人すべてにお礼の言葉・・・云々と締めくくったのは、このダイアリーを読んで下さる人達に対しての「ええ格好しい」の表明に他ならない。身の回りの事全てに関心・興味が深く生じ、時間がいくら有っても足りない物心ついてからの70年間を過ごして来た。

 中学時代、生徒会会長の傍ら、クラブ活動でテニス部と演劇部にのめり込み毎日暗くなってからで無いと家に帰らず、その上日曜学校にも休まず通いピンポンとオルガンと児童劇に夢中だったそんな僕を見て、母親は「何か一つにしなさい ! そんなに何もかも出来る訳が無い ! 」と言い続けるのだった。

 高校に行ってもこの習癖はますますひどく、テニスと音楽部とアルバイトの家庭教師を続ける中で殆ど毎週のようにヤマハホールとブリジストン美術館で隔週に行われていたレコードコンサートに殆ど欠かさず通った(昭和の20年代にはそうでもしなければいい装置で新譜レコードを聴くチャンスなど無かった)。

 音大に入ってからは授業をキチンと受ける事は当然、その他仲間を募って男声カルテットを結成色々なな音楽に触れた。その上アルバイトでボーイスカウトの吹奏楽指導も毎週やっていたし、卒業して群馬交響楽団の指揮者に雇われたときでも、高崎から吹っ飛んで帰って日本鋼管始め色々な企業のコーラス部の指導、横浜では主としてパロック音楽を研究する室内楽団も指揮していた。それらは優に10は超えていた ! と記憶する。誤解しないで欲しい「能力が勝っていた」とは決して思って居ない、あえて言うならば「体力があった」と云う他無い。この現象には気が付いていたけれども改善は難しかった。

 ようやく少しだけノーマルになって来たのは30歳を過ぎた1970年半ば、初めてヨーロッパに学ぶ機会を得て各地を巡るうちに日本でウロウロしている己の姿を客観的に見ることが出来、生活環境の整理・整頓に心が及ぶようになった。帰国してあちらこちらに頭を下げて手広く広がり過ぎていた仕事をスッキリさせるのに数年を要した。

 この話、どうやらもう一度だけ続きを述べなければならないようだ。      <続く>