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Jin's Diary&Essey

  #915
ほどほど・・・
Date: 2017/05/12(Fri) 
 「せっかく<天 = 大自然> ( 直接的には両親 ) から授けられた命なのだから粗末にしてはならない・・・」これは10歳の頃から高校に行く迄通ったお寺の日曜学校で度々諭された事。

 長い人生の中で何度か「死んでしまいたい」ようなつらさの極限に追い込まれた時にあの坊さんの戒めがフッと甦る。
「駒沢大学児童教育部60年史」をひもとくと、昭和初期から活動して来たこの組織が、敗戦直後「日本魂復活」をめざして全国に結集展開した教授学生一体となった運動には、感激を通り越して「崇敬の念」すらおぼえ今再び混沌としているこの世の中に新しい使命を確立し展開してもらいたいものだと思うことしきりである。

 ところで、僕だけでは無いと思うが、小さいときから何事にも熱中し他の事は放り投げてのめり込む癖があった。その都度親からは「ほどほどにしときなさいよ ! 」と言われる。僕にしてみれば「ほどほど」とは「そこそこ」や「まあまあ」というのと同じように聞こえて「大人って純粋じゃぁ無いな」と聞こえ、いちいち反抗し一層熱中してみせるようなひねくれたところがあった。

 日曜学校で劇に出て誉められると「俳優さん」になりたいと思い、中学クラブ活動のテニスで横浜市の大会でいい所迄勝ち進んだときは「将来はテニス選手」と思い、毎日学校に通う途中にある踏切のおじさんと仲良くなったときなどは「大きくなったら踏切番に」と、のめりこむありさまで ( 今思うと笑止千万だが ) それは手に負えないものだった。

 音楽家になったのもその延長線かもしれないが、これだけは「まあまあ・そこそこ・ほどほど」とはいかず、ドップリと嵌り込み、糊口をしのぐことになり引くに引けない事となった。

 お相撲さんや野球その他プロスポーツの人がおしなべて短命だったり、俳優さんが一生の間他人の筋書きの中で振る舞って行かなければならないのを見ると 職業選び と云う事の大切さ難しさを教えてくれた親に今更の如く感謝の念が湧いて来る。

これ迄を振り返って「ほどほどの人生」を送らせてもらった両親・先生・良き友人すべてにお礼の言葉が見当たらない。