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Jin's Diary&Essey

  #897
承前
Date: 2017/02/13(Mon) 
 前回は玉川学園に採用されたその日に校歌を作った所迄述べた。

 小原国芳が理想に掲げる実践教育「・・・労作しつつ歌い、労作しつつ学ぶ」ことについては次回の締めくくりに述べる事として、岡本敏明がどのように小原の要求に応えて行ったかをここでは少々紹介する。

 敏明曰く「子ども達が飛びついて歌える歌、歌っているうちに自然に合唱になる歌、そんなものを暗中模索しながら何曲作ったか数え切れない・・・ある時スイスから教育家チンメルマン博士が玉川学園に半年位滞在して、スイスの歌や民謡を沢山教えてくれ輪唱の面白さも彼によって開眼された。

 日本中に知れ渡った " 蛙の合唱 ( Froschgesang)" 」も彼が教えてくれた輪唱を子どもの為に言葉を付けた最初のものである。

 面白い歌、楽しい歌、音楽的に高く、しかも一分間で出来る小合唱曲の工夫、創作など文部省唱歌には見い出し難い「心のはずむ歌」を作る事に腐心したのであった・・後略・・

 ここに紹介した岡本敏明の言葉は「私の履歴書」と題して「季刊・礼拝と音楽・No.13,Spring1977」に寄稿したもので亡くなる前に病院のベッドで口述されたものの一部です。

 師・岡本敏明教授について述べようとすれば何万字書いても書き切れないほどありますが、機会をみてこれからもご紹介して行きたいと思います。

 次回はこの章の締めくくりとして小原国芳について少し書いてみたいと思います。