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Jin's Diary&Essey

  #888
99匹 or 1匹
Date: 2016/12/14(Wed) 
 " 或る人が羊を100匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、99匹を「山に残しておいて」 「迷い出た一匹」を捜しに行く… ( マタイによる福音書 第18章10~14節 ) "

 このエピソードにはもうひとつの福音書がある.( ルカによる福音書 第15章1~7 )
 " 100匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、99匹を「野原に残して」、「見失った一匹」を見つけ出す 迄捜し回らないだろうか"

 似たような喩えであるが僕にとっては「迷い出た羊」なのか或はまた「見失った羊」なのかは大きく異なる。「見失った」のであれば飼い主に責任があり、「迷い出た」のであれば当事者 ( 羊 ) がぼーっとしていたからに違いないから。

 片田舎の工業高校に居た若者が、何故か音楽に目覚めて坊主頭・下駄履きで岡本敏明教授のもとを訪ね、平身低頭・懇望の末にくにたち音楽大学の教育科に拾われて学んだ結果、浅はかにも全てを理解した錯覚に陥り「師」の行列の旗持ちを自ら買って出て、やれ輪唱だ、指揮だ…と喜ぶ姿を見て「師」は手が懸かっても可愛く思ったであろう事は想像に難く無い。

 音楽大学と云えばその殆どが女性で占められる中、ほんの10パーセントにも満たないぼんくら男子の中にあって嬉々として学ぶ姿は「大事に育て保護せねば…」とお考えになったとしても何の不思議も無い。その大切な羊が見当違いの大はしゃぎをしたところでどうせ己の掌の上…位に思われたのだろう。

 そんなところに、これまた質の異なる熱心な弟子 ( jin ) が「クビにしましょう」などと穏やかでない提案をした所でニッコリと笑いながらマタイだかルカのエビソードを語って聞かせたとしても不思議は無い。

 それやこれや、僕もいい歳になって少しばかりものを考える力がついた所為かだれが1匹でだれが99匹なのか訳分からなくなったとしても笑う人が居るだろうか。

 心の底から人の悪口を言った事が無いのに、このダイアリーの中で特定の人物を名指しで非難した事の後ろめたさが#887,#888の文章になった。もう、彼を話題にする事は金輪際ありませぬ !