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Jin's Diary&Essey

  #883
辿り着いた所は
Date: 2016/10/26(Wed) 
 60余年ものあいだ数え切れないほどの演奏会をして来た。

 直感的に一度で懲り懲りして2度とやらなくなった音楽がある一方、一目惚れして何度も演奏し未だに飽きない物があるかと思えば 30歳代 40 〃 50 〃 60 〃 70 〃と年齢を経るに従って「そろそろ卒業…」となってしまうものもある。

 作曲家の名や曲名を軽率に挙げるわけにはいかないが「どうしてこの良さに今迄気づかなかったのか」というのもあれば「どう考えてもこの音楽の価値は高くない」ということになって聴衆に申し訳なかった曲も有る。高名な作曲家でも稀に愚作「失敬 ! 」があったりして愕然とする。

 ++++++ ( 有名な作曲家の名 ) 研究家と称してその作家の全ての作品の提灯持ちをする評論家が居た。彼は恐らく楽譜を深く読むようなことも出来ず、演奏もままならず、結局海外の研究書を訳して受け売り程度の事でお茶を濁しているのではないか…としか思えないような輩で 善良なアマチュア愛好家を煙に巻いて糊口をしのいでいた ( 僕の若い頃にはそんな輩が結構存在し、尊敬する有馬学長から " ちゃんと見抜けよ " と始終諭されたものだった ) 。

 18歳の頃作曲を師事していた中村先生に命ぜられルネサンス・バロック室内楽団の下稽古を数年務めた事がある。コレッリ、ヴィヴァルディ、ジェミニアーニはじめ血の気の多かった僕には退屈としか思えない曲が少なくなかった、その中にヘンデルとバッハもあった。合奏協奏曲とか管弦楽組曲など有名な曲も無い事は無かったけれど、当時の僕にはビビッと来る物が無くて手を焼いていた。

 本番でそれらの曲を恩師が指揮するとまるで違う音楽のように生き生きと響いて ? ? ? だった。

   ・・・ここ迄が前置き・・・

 ナント、この数年ヘンデルとバッハに心惹かれたまらなく好きになっている自分に驚いている。機能的にしてムダの無い低音 ( バス … 基礎・土台 ) の上に繰り広げられる伸びやかな旋律と和声の響き、これこそ太古以来人間が求め、築いて来た Music の世界 ! ! としか思えなくなっている自分に驚き、恥ずかしさすら覚えている。

 この分で行くとこの先僕のコンサートのメインプログラムはヘンデルとバッハ ( 勿論ヨハン・セバスティアン) ばかりになってしまうのではないか、と危惧すら感じている。