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Jin's Diary&Essey

  #863
グリークラブ
Date: 2016/04/24(Sun) 
「男性による伴奏のないアカペラ合唱団のこと」と決めつけている人が少なくない。
語義は、ほぼ joy と同じで 歓喜・上機嫌・浮かれ騒ぎ、などだが、この言葉は14世紀頃から屡々現れ使われたようだ(チョーサーの詩その他)。もともと17世紀、ロンドン、ニューカッスルコーヒーハウスを拠点にアマチュアとプロフェッショナルの歌い手の混合で20人程の男声からなる健全で明るいコーラスグループの名称であった。同じイギリスでそれ以前から盛んに歌われたマドリガルやキャッチに比べもう少し真面目な内容のものを歌ったと伝えられる。

 起源が男声グループだったので男声合唱に冠する名称のように日本では多くの人が思い込んでいるが、欧米を見ると健全で明るい内容を持ったレパートリーを所有するグループだったら混声でも或は女声でも「・・・グリークラブ」と称する団体はいくらでもある(日本では ICU Glee Club が混声らしい)。

 ところで1963年に「専修大学にグリークラブを作りたい」と云う話が同大学の 早坂礼吾文学部教授 からあって岡本が初代の指導者として招ばれた。同じ頃東海大学グリークラブの指導にも当たっていて二つの掛け持ちは無理だと云う理由で固辞し続けたのだが創立メンバーの「肥田英臣君(現・静岡県沼津市の清凡寺住職)」はじめ数人の熱心な学生に一ヶ月程熱心な慫慂をうけて遂に引き受ける事とした。以来、なんと約40年程に亘ってこのクラブを指導することになるとは思っても居なかった。

 東海大学のほうはアシスタントとして後輩の「佐藤公孝」を頼み、専修大学は僕の最初の弟子「押塚登貴夫」を最初から同僚として迎えて力を注ぐことになった。まだ20代後半でエネルギーも有り余っていたのでこんな態勢が成立したのだろう。因にその頃の僕の一週間は母校国立の講師、群馬交響楽団の指揮者、横浜の室内オーケストラの指揮者、吉祥寺の吹奏楽団の指揮者その他未だ幾つかの団体の間を駆け回っており、指揮者として公式デビューする直前であった。

 話は突然飛ぶ。

 きのう、専修大学グリークラブの新人歓迎会に招かれて行って来た。2時間の間60歳程も年の違う若者に久しぶりに囲まれて忘れかけていた息吹に囲まれた。新人は受け答えもハキハキとして見るからに聡明そうな青年達だった。帰途、数人のOBと呑み屋に引っ掛かって2時間ばかり、ここでもまた昔話に花が咲き、つくづくあの頃若者達と過ごした日々を貴く有り難いと思った事だ。