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Jin's Diary&Essey

  #832
音楽教育者誕生の裏に
Date: 2015/09/17(Thu) 
 受験生 A「音大のピアノ科を受けたいのですが」
 教師  「無理無理 ! 教育科にしておけ」

 受験生 B「声楽科に入ってオペラの勉強を…」
 教師  「無理無理 ! 幼児教育科を受けなさい」

 作り話でも笑い話でもない、100年来この国で繰り返されている音楽大学受験に際しての深刻な進路決定の姿。
このような指導で入学した所で彼等・彼女らには敗北感が付きまとって「教育者」としての修業に身が入らないのは当然。
学生を指導する音大教授側にも「教育科や幼児教育科のピアノ指導なんか早く辞めて専門コースの学生を教えたい」と慨嘆・公言する人が大勢居た。器楽や声楽を学ぶ事が王道で、教育者養成のコースはそこに至らなかった二流の学生 ! という誤った認識が明治以来大学にも学生にも有った。教育音楽を専攻している学生達がややもすると抱く劣等感を取り除きどうしたら意欲的に楽しく学ぶ積極さを持たせるかに腐心した教師25年間だった。

 愛する音楽で身を立てる為には演奏家になるか作曲家になるか、それが叶わなければ仕方なく音楽教師に ( でも ) なって…というネガティブな卒業生を出さない為に必死に教育専攻学生にいろいろな特技を身につけさせた。いっぽう「声楽専攻」の学生とは「室内合唱団」を編成して全国の学校を訪ねて音楽会を500回以上行った。一緒に行脚した学生達の中からは立派な教育者が次々と生まれいまでも全国各地で立派な先生となって活躍し、その地方の音楽文化向上を願い活躍している。いやいや教師になって生活の為に仕方なく教壇に立つ、などという卒業生は僕の周りでは見た事が無い。

 明治13年伊沢修二(いさわしゅうじ)によって開かれた「音楽取調係」がもう少し教育音楽家の養成を第一義として,演奏家養成とは両輪の輪として誇り高い教師育成を標榜していたら、冒頭に述べたような光景は決して生まれなかった事だろう。

 「リベラル・アーツ」 をしっかりと認識して近代教育をスタート出来なかった明治の拙速主義が悔やまれてならない。ICUの後塵を拝するような事がもしあるとしたら、文部科学省も慌てなくてはなるまい。