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Jin's Diary&Essey

  #831
前回のつづき
Date: 2015/09/17(Thu) 
 きのう大急ぎで書いたので読み返してみると「舌足らず」な点があり、やや独り合点な所も有るので補足する。

 「ひと働き終えたおじさん達が集まって倍音に耳傾け、ハイネの詩に付けられたシューベルトを歌って「自分磨き」に精出している風潮に気づいてリベラル・アーツの知識を備えた報道人が支え、周知につとめるべき時期が来ている事」・・・
というのは、世の中で「音楽なんて愉しければ良いのさ」と「娯楽視」している日本全体の認識に異論を唱えているつもり。

 「愉しく ( 大雑把に ) 唱歌を歌う幼児期から大人になる迄「マジメにキチンと」音楽と向き合う事をしない大多数の日本人は「音楽」はお八つのようなものだと理解して接し」・・・
というのは、そもそも年少時の教育段階からして、音楽を上っ面の「戯れ」とのみ考えて、その奥に「重く存在する」心の鍛錬としての音楽修業にまったく気づかない我が国の弱点が有る。体育は大切にするのにね.

 「リベラル・アーツ ( 英:liberal arts ) 人文科学、社会科学、自然科学を包括する専門分野を意味する」。古代ギリシア・ローマの教え「自由七科」文法・修辞学・弁証法・算術・幾何・天文・音楽、をもとにハーバード・カレッジのリベラル・アーツ教育のカリキュラムが作られている」・・・
というのは、明治時代に「近代教育を取り入れた」段階から「文法・修辞学・弁証法・算術・幾何・天文・音楽、」のそれぞれをつぶさに分析し、意義を考えることが及ばなかったこと。

 特に音楽教育の始まりとしての専門家育成はアメリカから来た人物に委ねられたこと ( 音楽取調べ係というものがが明治初期に設けられ、それが東京音楽学校になり、今の東京芸術大学になった歴史は次回に触れる)。

 一足飛びに今日の結論を述べれば、「近代日本の教育者育成制度に大きな手落ちが在ったと云う事」。

 古代に目を向ければ、我が国には「歌=和歌」に於いてリッバな「哲学・教育理念」が有りながら、明治に伝来した鼓笛隊や唱歌のたぐいはそれとは全く異なる「娯楽」としてしか捉えられなかった失策が招いた大きな弱点が在った。