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Jin's Diary&Essey

  #818
免許皆伝1号
Date: 2015/07/14(Tue) 
 免許皆伝・・・「師匠からその道の奥義をすっかり伝えてもらうこと」

 指揮、というものは学校や個人教授で習う物でなく盗んで習得するものと僕自身は考え、諸国をめぐり多くの指揮者のリハーサルを盗み見、チャンスあればアシスタントを申し出て下稽古をさせてもらったりしてきた。若い頃勤務した音楽大学を指導に来た J.フルネやフォン・マタチッチの助手を務めた際にはリハーサルだけでなく楽屋に何度も押し掛けて、フルネからはフランス音楽のあれこれ、マタチッチからは合唱付きのオーケストラの演奏の極意などを聞き出した。とくにマタチッチとは何回か会う機会があったので彼の生い立ち、ウィーン少年合唱団時代ブルックナーのミサに衝撃を受けて指揮者を志すきっかけになった事等を本番前にも拘らずビールをぐびぐび飲みながら話してくれた体験は50年経った今でも強烈な刺戟として心に刻み込まれている。

 1970年頃、恩師岡本敏明教授の命により四国坂出の高校で合唱を指導しておられた杉山愛子先生のお手伝いに数年間通った。同じ頃高松市で香川二期会合唱団というところで歌っていた「藍川佳津樹」という人から「大学(千葉工業大学)時代のグリークラブの楽しさが忘れられなくて市民コーラスに入りました、曲目がバラエティに富み指導者も一流です、一度お立寄頂けませんか ?」と丁寧な手紙をもらったので機会をみて伺った。とてもいい音でいい合唱をしていた。ただ心配な事に一流の指導者が忙しいらしく見ていると短期間で交代するようだった。

 指導者と云うものはある期間定着しないとオーケストラも合唱も健全に上達しない・・ことをヨーロッパで学んでいた僕は「二期会合唱団生え抜きの指揮者養成」を提案した。やがて藍川佳津樹氏が僕のアシスタントのような形で指揮者修業をするように団全体から推挙されて決まった。僕は彼にひと言だけ「何でも聞いて下さい、何でも盗み取って下さい」と言ったと記憶する。

 以来40年が推移した。コンサートは僕と「藍川佳津樹」で分担して指揮するスタイルをとった。この数年、彼の本番を客席から観察する事にしているが彼の統率力、牽引力は抜群に向上して行った。去年と今年の打ち上げで僕は藍川佳津樹に免許皆伝を差し上げる・・と団員全部の前で言明した。免許皆伝となった以上僕の役割は終了したと思い、そろそろ「辞任」を申し出ている。今年限りか。あるいは2年後の第50回記念を区切りとするか先方に下駄を預けている。

 なにはともあれ,リッバな指導者が四国香川に生まれた事を嬉しく思う今日この頃。