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Jin's Diary&Essey

  #814
極端から極端に
Date: 2015/06/11(Thu) 
 先月の末 杉本秀太郎(随筆・評論・仏文学者・国際日本文化研究センター名誉教授)が亡くなった。
 この人を知ったのは昭和44(1992)年、指揮者デビューし、初めてヨーロッパに渡った33歳の頃、「音楽と生活ー兼常清佐随筆集ー」という本だった。

 兼常清佐(かねつねきよすけ、音楽評論家・文芸評論家・音楽学者)については、その過激とも言える音楽論に学生時代から取り憑かれ「ピアニスト無用論」、だの「音楽に志す人へ」などの著書を読んでは教室で友達と議論し合ったものだった。しかし兼常の論調はどちらかと云うと学生時代には刺激的で議論の種としておおいに役立ったものの、しばらくすると"これに嵌り込んでいると極端な皮肉論者になる"ような危惧を感じるようになり,卒業する頃には敢えて兼常の著書から遠ざかるようにこころした。

 それから10年程が過ぎ,上記の杉本の著書のタイトルに「兼常」の名を見いだし手に取る事になる。特に巻末の杉本による解説を読むうちに兼常に対する学生時代の思い込みが修正され,当時とは違った視点で兼常の考えに触れ,その考えを穏やかに飲み込む事が出来るようになっている自分に気づいた。そうすることができたのはひとえに杉本の編んだ著書のお蔭だった。

 人間と云うものはとかく極論に心を惹かれるもののようで、政治でも経済でも第三者から見れば「もう少しだけ歩み寄って」相手の立場を理解してやればこれほど猛々しい言い争いにはならないだろうに…と感じる事が毎日起こる。音楽についても同じで、やたら「クラシック  々  」と言い募って素人には到底理解し得ない作品だの作家について知ったかぶりをする輩が居るかと思うと、反対に「親しみ易さが全て」とばかりに愚にもつかない大衆音楽こそが音楽の本道 ! とばかりにかしましくのさばる恥知らずも居る。

 知ったかぶりせず、かといって偽悪者のふりをするのでもなく、無理なく素直に心地よいものに触れる姿勢が音楽に限らずすべての事象に必要だと感じる事が頻りだ(音楽番組だけでなく,美術や舞台の鑑賞にしても、さらに流行りの食べ物番組にしても)。「過激な極論」を囃し立てて人の気を引くことばかりしているとやがてそれに慣れきって何事にも感激しない人間が増えて行く事を案じる。

 最後に持論に戻って恐縮ながら「穏やかで品格ある音楽」に興味と関心が集まる世の中を夢想しつつこの駄文を閉じる。