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Jin's Diary&Essey

  #795
春は名のみの・・・
Date: 2015/01/28(Wed) 
 「早春賦」作曲・中田 章 (なかだあきら 1886~1931 喜直のお父さん) の代表作,詞は「吉丸 一昌」。
 今頃の季節になると、この曲が自然と心に浮かびしばし耳の底で鳴り続ける。

 しかし、この音楽を指揮するとなると忽ち大きな悩みが浮かび上がる。それはこの曲が8分の6拍子で書かれ、歌い出しの「は」は6拍目から始まり小節縦線を超えた一拍目、即ち一番強いアクセントを持つところに「る」が来てしまうからだ。

 この歌の詞を縦書きで示して声を出して読む時には「はる」は名のみの「風」のさむさや…となり、美しい日本語が流れる。けれど歌う時には「る」「み」「ぜ」「や」などが1拍目に来るのでその不自然さを避けるために1拍目でも弱く、柔らかめに歌わせようとし、逆に頭の「は」や、4拍目でさほど強い所でない「名ーの」のところを「大切に・・・」などと
奥歯に物の挟まったような「非音楽的指導」をしなければならない。

 このような問題は外国曲を訳して日本語詞を付ける場合に屡々起こり音楽を十分に表現しようとすれば「詞」のアクセントが疎かになり詞を十分に表現しようとすれば音楽の拍子感を無視しなければならなくなり指揮者としては悩む所 !

 あの「蛍の光」がまさにそうであり、「雪山讃歌」などはそれ以上に混乱する (その点、歌詞の無い器楽は安心 ! ) 。

 「紅白」のフィナーレで「蛍の光」を指揮していた優れた歌手の藤山 一郎は "指揮はするけれども決して一緒に歌う事は無かった" とある所に書いていた事を僕はいまだに強く記憶している。

 その点、詞と曲がピッタリとはまって老若男女誰でも愛唱する「サッちゃん (阪田 寛夫 詩、大中 恩 作曲)」は文句無しに詞・曲が合致していて満足感を覚えるし、「きよしこの夜 (由木 康 詞)」や「モーツァルトの子守歌 (堀内 敬三 詞)」もまた指揮者を悩ませはしない。

 アクセントが合ってさえ居れば良い、と云う話しではなくあとほんのちょっぴりだけ「詩人は音楽を理解し,音楽家は詩を理解して」歌が作られたら日本にもあの「冬の旅」に勝るとも劣らない名曲が生まれる事だろう。