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Jin's Diary&Essey

  #770
それでも笑顔が
Date: 2014/10/14(Tue) 
#769で日本一になった小中高校のコーラスが「上手な故に」却って心配する・・・ということを述べた。
しかし3日間番組を凝視していると競い合う彼等の表情に「真に音楽している(musizieren)」悦びの表情を見いだしてハッとしたりホッとしているこも正直に述べなくてはならないだろう。

そもそも過熱したコンクールを心配する大きな理由は、彼等に出来る限り上質な音楽(ごはんに例えれば美味しくて栄養価もあるもの)を選ばせてやりたいという「お節介」と云うか「取り越し苦労」から生じた感情なのだ。ダイアリーの #753 「音楽は誰のためのもの」の冒頭に引用した東京芸術大学客員教授エルヴィン・ボルンの発言(合唱連盟30年史)
 「効果を狙わず…騒音のまやかしでなく…表現のより精神的内面化のために 云々…」(#753 の上から7行を参照して下さい)
という発言を深く(痛く)胸に刻み込んで私自身が今日迄歩んで来たからなのだ。

しかし彼等(小中高生)の表情に「真に音楽している(musizieren)」悦びの表情を見いだしてホッとしている…」と冒頭に述べた通り、歌っている音楽が少々大衆臭かろうが或はまた入賞を狙った審査員好みの現代邦人作であろうが、歌っているその顔はバッハやモーツァルトの傑作を歌っている時と(殆ど)変わらない嬉々としたものを感じ却ってショックですらあった。

音楽がこころの糧だと信ずるならば、日頃の「ごはん」と同様「美味しくて栄養価が高く添加物など決して含んでいない」上質なものを、と考えて当然…と慮るあまり、コンクールそのものを必要以上に忌避してきたかもしれない、ということを考え始めている。やがて90年になるNHK全国学校音楽コンクールの審査委員をかつては何度か委嘱されその頃はここに書く程のおもんばかりもなく「あぁ 小学生の a.cappella は素敵だ ! 」などと新しい傾向のお先棒担ぎまでやらかしたことが照れくさい。

その後この30余年関わっているTBSこども音楽コンクールでもっと丁寧に聞くようになって「こどもたちに何が望ましいか」を痛切に感じる事となりその余波という訳でもあるまいが売れっ子作者の課題曲や金賞狙いのおどろおどろしい難曲に眩惑される事もあって、終いには審査員の顔ぶれ(合唱関係者に絞らないで広く音楽家を招くべき)というTBS方式に対する賛意と吹聴がやや過ぎたという悔やみも無い事は無い。

本当の音楽愛好者といものは大人になって確立するものだとすれば、こども時代に先生に言われるままに訳も分からない歌を特訓を重ねて歌わされ、それを引っ提げて全国一を争って涙するような大人から見たら理解に苦しむ光景が出現したとしてもそれはいっときの「はしか」のようなものなのかも知れない。精々周りのものが心を配ってなるべく品格ある文学や泰西の名画や一流俳優の芝居を見せに連れて行ってあんまり下世話な雰囲気の中に居ないようにしてやりたいと思うばかりだ。