[トップ] [検索] [管理用]
Jin's Diary&Essey

  #769
全国一のコーラス・・・
Date: 2014/10/13(Mon) 
「全国学校音楽コンクール」を久しぶりに見る。日本中の小・中・高校から選ばれたごく少人数のエリート児童生徒が競い合うのだからそれはそれは立派なもの、大人の合唱団だったらとても歌いこなせないような難しいものを次から次と披露するのを見聞きしていると日本の児童生徒の合唱は世界一技巧に長けている事間違いない、と確信する。
ただ、長い間欧米で少年少女の合唱を沢山聴いて来た僕には複雑な思いが沸き上がる。

戦後間もなく日本を訪れたウィーン少年合唱団が歌うハイドン、モーツァルト、シュトラウス一家などを聞いて同じ頃来日して日本中の愛好家のど肝を抜いたカラヤン率いるベルリンフィルとはまた違った意味で音楽のあるべき姿、音楽を職業とする人間とは異なる音楽享受の要諦に刺戟と教訓を得たものだった。

 「この少年達は誰でも知っていて誰にでも歌えるような歌を、誰よりも楽しげにしかも品格高く歌うことができる」

その後フランスから「木の十字架」来日、さらに東ヨーロッパと交流するようになると多くの国々から少年少女達が訪れては沢山の感動と共に刺戟や教訓を残して行き、やがて国内の名だたる少年少女合唱の指導者の中から驚くべき声が上がるようになった。

 「日本の少年少女は世界一流になった、もはや彼等から学ぶものは無くなった」

困った事になったと思った。2000年の隔たりがある欧州の合唱音楽の土壌、歴史、成果を全て吸収、理解しそれを超えたと云う意味でなく、ただ単に「彼等彼女等よりも難しい曲が歌えるよ ! 」と云う意味にしか取れないからである。
本当にそうなのだろうか、伝統あるヨーロッパの名門コーラスをたった50年かそこらで飛び越える事など出来るのだろうか ?

ウィーンの子供達がステージから投げかけてくるあの暖かいハーモニー、心和むリズム感、今直ぐにステージに合流して一緒に歌い合わせる事が出来そうに思えるような包容力、それらのすべてを日本のコーラスは習得・修得した…と言うのだろうか。
 「どうだ、聞いたか、観たか、これと同じに歌えると云うのか」と他を見下すため、優越感をより磨くために音楽をしているように思えて疎外感孤立感がステージから漂ってくる思いをするたび日本の音楽教育が目指して来たものの方位違いが心配になる。

 「徒に上達するのは考えものだなぁ」と思案に暮れる。