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Jin's Diary&Essey

  #746
半音の不思議
Date: 2014/06/17(Tue) 
#745の続きを述べる。

例えば「荒城の月」。知らぬ人居ない歌、発売されているCDを検索するだけで600~700は出てくる(10%は非日本人演奏家)。

日本人声楽家の演奏は聞き慣れた「荒城の月」、情緒纏綿、しみじみと歌い上げられていて期待を損なわない。
問題は海外の演奏家(フルート、ヴァイオリンからコントラバスに至るさまざまな楽器のソロで或はオーケストラ編曲からジャズトリオ迄)のもの。「はるこう↗ろうの」の「う」から「ろ」にかけての半音が全く違う。
言うまでもなく日本人の半音はごく僅かながら狭く表現されるのでそこに暗さ・繊細さと感じられる趣が伴ってくる。
永年にわたってわらべ唄や民謡で培われた「半音」が現代に至るも日本人には染み付いていてえも言われない味を醸し出す。

歌だけでなくフルートやヴァイオリンなどの西洋の楽器でも日本人が演奏すると西欧人の感覚とは微妙に違う響きをたたえるように僕には聞こえるし、耳の良い音楽家に訊ねてみても「確かに狭く聞こえる」と言う人は少なくない。楽器はヴァイオリンなどの弦楽器ではフレットが無い場合演奏者が音程を作り出すので弾く寸前に脳みそに浮かんだ節回しを実現しようと指が反応する。木管楽器などキーが有って音が作られるように一般的には考えられているけれどもこの場合にも弾く寸前に脳みそに浮かんだ節回しを実現しようとして唇が微妙に音の幅(明暗程度の)が加減されて発音されるから、西洋人と日本人とでは微かながら音程感が異なる…と岡本が言うのに同感する人は決して少なくない。

ところで、ごく最近日本人でありながら日本人離れした半音感覚を持っているヴァイオリニスト2人とヴォーカルアンサンブル1団体を発見した。彼等の半音は西洋人と全く同じで本来の広さ(暗い感じでない)を備えているのでまことにスッキリとしている。


続きは次回に