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Jin's Diary&Essey

  #745
発声と半音がカギ
Date: 2014/06/08(Sun) 
早朝のTVで(日本歌曲の第一人者という紹介で)老練な声楽家が日本歌曲のみを蒐(あつ)めてコンサートをしていた。
日本歌曲=およそ100年前から最近迄おもにドイツやフランスで学んだ優秀な作曲家の作品、つまり日本古来の音楽(民謡・長唄・箏曲・能楽・常磐津・義太夫 etc.)ではなく確かに日本人が作ったものではあるがバタ臭い洋物風であることも避けられない。

曲風が1800年以降から今日に至る彼の国の大家の作品に影響を受けていると言ったら失礼だが、歌詞が日本語であることを除いたらシューマン、フランク、フォーレ、ヴォルフ、マーラー、R.シュトラウス、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキー、ヒンデミット、ショスタコヴィチ、ブリテンetc.を彷彿としてしまう面も無くはない。しかし「和魂洋才」の我が同胞のこと、油絵の世界に見るように日本の香りを讃えた良い歌曲が生まれていることも確か。ここでは演奏の面で気づいたことのみ述べる。

ひとつは発声法の根本的な違いにある。いわゆるあちら風の響きと日本古来の音楽(民謡・長唄・箏曲・能楽・常磐津・義太夫 etc.)とでは根本的に声の作り方磨き方言葉の表現が異なる。イタリアオペラ風やドイツ・フランス歌曲風の声にはそれぞれ独自のメソッドがあって今日迄日本の音楽大学はあちらから先生を招いてあちらの音楽教育を受けることだけに汲々としてきた。これからは是非とも日本人として日本語を正しく美しく歌い上げるための声の作り方磨き方言葉の表現等の研究が必要であることは言うまでもない。

もうひとつ肝心なこと、それは「半音」の広さ・狭さについて。

節回しというものは「音階」を辿って構成される。それは幾つかの全音と半音の配列のことなのだが、半音は全音の2分の1、すなわち2つの半音で全音・・・というあくまでも合理的な西洋の理論では到達出来ない日本(東洋)独特の音の幅が存在する。このことは日本民謡(例えば沖縄)や他の東洋(インド辺りのそれ)を観察するとよく分かる。日本人の半音は西欧人のそれに比べかなり狭く、またそのことが情緒表現のキーポイントになっているから厄介だ。

全音と半音の配列、倍・半分の長さで割り切る西洋の合理的な音楽構成にくらべ、何種類もある全音とも半音ともつかない音列と、整数で割り切る事の出来ない長さが混在する日本(東洋)の根本的な音楽の相違を掘り下げて行くことで確固たる存在感を獲得して行くと信じている。

<この問題はまたいずれ・・・>