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Jin's Diary&Essey

  #702
盂蘭盆会(うらぼんえ)
Date: 2013/08/10(Sat) 
「お盆」を子どもの頃日曜学校では「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と教えられた。

昭和20年7月末(資料が色々あって17日とも24日とも伝えられる)疎開先の沼津市下香貫で空襲にあった。
4月に病気で父が亡くなり、成人した兄は横浜市鶴見区の病院で働いていたので疎開先は母と一歳の妹と僕の三人暮らしだった。
鎮守の森の直ぐ脇にあるだだっ広い屋敷の真ん中に家は建っていた。父の新盆で座敷にお盆提灯が灯されていた。

真夜中にサイレンが鳴って近所のおじさんが「退避!退避!」と告げて回って来た。母に手を引かれて庭に掘られた「防空壕」に飛び込んだ。直きに飛行機の音がしてドカドカと焼夷弾が落ちて来た。「ここに居ては危ない!川に入れ」と叫ぶおじさんに促され100メートル程先の田んぼの川に向かって走った。家は既に燃え始めていて僕の部屋にも焼夷弾が何本も突き刺さってメラメラと炎を上げていた。仏壇脇のお盆提灯も殆ど燃え尽きていた。

夜通し川に首まで浸かって震えていた。真夏だから寒いのではなくて恐くて震えていたのだろう。川に入らないで畦道を走って逃げる人に次々と焼夷弾が当たり炎が上がっていた。空が白々と明けてくる頃に何度目かの爆撃があり今度は爆弾の嵐だった。
沼津市の記録によれば「この夜は130機のB29が3200メートル上空に侵入、9077発1039トンの焼夷弾を投下し9523戸が焼失、274人が死亡、市の89.5%が破壊された」とある。

ようやく敵機が去って家に戻ったけれども一面の焼け野原、爆弾の炸裂した跡がすり鉢のような形で幾つもあった。
逃げている間、背中に背負わされていたリュックサックを下ろすと中からびしょ濡れになった郵便局の通帳やお金など大切なものがよれよれになって出て来た。その辺の焼けトタンを持って来てその上に濡れたお札を並べている母はとても悲しそうだった。

4、5日焼け跡で野宿していると母が何処かから横浜行きの汽車のきっぷを手に入れて来て「鶴見のお兄さんの所に行こう」と言い駅に向かって歩き出した。駅迄の道は建物がすっかり焼けてしまって辺り一面平らになって遠くの駅が見えた。

敗戦の日が近くなるとこの夜の事がはっきりと思い起こされてやるせない気持が沸き上がってくる。