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Jin's Diary&Essey

  #692
客席と舞台と
Date: 2013/05/20(Mon) 
中学生時代のクラスメイトが招いてくれて五月晴れの日曜に前進座の公演を観に国立劇場に行って来た。
演し物は「元禄忠臣蔵」と「一本刀土俵入り」。流石に緻密で迫力に富む舞台に久しぶりに惹きこまれた数時間を過ごさせてもらった。しかしここではその演技や舞台運びを語るのではなく、満員の客席の一隅に居て深く感じ入った事を述べてみたい。

一階真ん中に座って観客に囲まれていると、芝居が進むにつれて一緒に呼吸する観客の息づかいがひしひしと伝わった。
若い人は殆ど見かける事はなく、中年・熟年で埋められた僕の周囲は一人残らずじっと固まったようになって芝居に入り込んでいた。そして時々起こる笑い声や嘆声、隣の人とうなづき合う様子などで満たされていた。

舞台に見入る僕の頭の中にはいつの間にか「自分のコンサートとの比較」が入り込んでは消えた。

  ・・・コンサートの客席もこんな風に一音一音の流れに添って一喜一憂しているだろうか・・・?

音楽会でもステージの上は最高に緊張し集中して奏で歌っている。僕は客席に背中を向けていても聴衆の様子は見ている以上によく分かる。

  ・・・うまく伝わっているか、一人舞台になって客は退屈していないか・・・?

オーケストラもコーラスも選曲に心を砕き、度重ねたリハーサルで音を磨き、本番ではやり残す事の無いよう集中して再構築して行く。ロンドンやベルリンの客席に居た時は今日の前進座公演の客席と同じ時間の経過があったように思うけれど日本の、特に地方都市に行った時の本番は一抹の不安がないか?と問われれば少し口ごもるかも知れない。

芝居の客席に居る観客のようにコンサートの聴衆にも集中し且つリラックスして音楽を呼吸してもらいたいと常に考えて選曲し練習を重ね、当日は新たな気持で丹念に積み上げているつもりだが果たしてお客は十分に満足出来る時間を過ごして呉れているか、これは多分一生ついて回る演奏家の務めなのだろうし最も気に懸かる事なのである。