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Jin's Diary&Essey

  #691
変節と変貌と
Date: 2013/05/09(Thu) 
前者は「従来堅く守って来た態度や主義を変える事」  後者は「見た目がすっかり変わる事」

長い間生きて「見た目がすっかり変わる」のは当たり前のことだが、「主義主張が経験や学習と共に変わる(成長する)」こともまたあり得る事で、それが全く無ければ「大人げない」という誹り(謗り、譏り)を免れないだろう。

50年前に教えた卒業生とばったり出会った時に「まあ、ちっともお変わりになりませんね!」といわれても外交辞令くらいにしか思わない、しかし50年前に演奏した音楽をふたたび取り上げた時に「まあ、前とちっとも変わりませんね!」と言われたのでは狼狽しなければならない…。

現実はばったり出会った時に「まあ、お変わりになりましたね!」と言われたら全然いい気分でないし、前に演奏した音楽を今また取り上げた時「テンポもニュアンスも前とはすっかり変わりましたね!」と言われたら悪い気はしないのだが。

作曲した人物を詳しく調べ、彼が生きた時代を広く知り、さらに客席に座って聞く人の心の中迄ある程度見通せるようになったとき、作品の表現に変化が生じて当然だと思う。

ところが世の中ままならないところがあって,本人が一生懸命研究を重ねて以前の演奏より少しでも「まし」な音に作り上げようとしても演奏家や聴衆が以前のCDを聞いていたりして変わる事になかなか馴染んでくれない。容貌同様に脳みそも変化しているつもりなのに・・・

NYのMOMAが好きで何度も通う、とくにマチスの若い頃の絵を観る度に「変節や変貌」について深く思う所がある。画家だけでなく小説家や彫刻家、デザイナーや建築家を見ても彼等が年々変わって行く事に驚かされる。

指揮者と云うものは誰かが作ったものを「音化」して提出する仕事なので彼等のように直接的な変化に気づいてもらえないのかも知れない。この点、芝居の演出家と似た所が有るのか?。