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Jin's Diary&Essey

  #669
きっかけ <その1>
Date: 2012/12/06(Thu) 
ナゼ、指揮者と言う職業を選んだのですか ? と云う質問はいまでも屡々ある。遡って記憶を辿ってみるが「これがきっかけ ! 」というようなハッキリした動機のようなものは見つからない。

物心ついた頃、家にでっかい「デンチク(電気蓄音機)今で言えばオーディオ装置 」があって、しょっちゅうレコードがかかっていた。10数歳も年上の兄がその前に立って指揮棒を振り回していたのを覚えている(最近もそんなドラマがあった)。その指揮棒は30センチ程の黒い木製で、手元と棒の先に白い象牙のようなものが嵌められていて「いかにもタクト !」というような立派な形だった。兄の留守にソッと振り回してみたけれど見つかってしまった後は何処かにしまい込まれてしまった。

小学校5年生の夏休みに校庭で「納涼音楽会」があり、先生に言われて朝礼台に上がってなにか輪唱のようなものを指揮させられた。そのときの情景は今でも記憶にあるけれども曲が何だったか、出来はどうだったかの記憶はまったく無い。

中学に進んで音楽大好きな理科の先生がいて、よく数人のクラスメイトと共にコンサートに連れて行ってくれた。1949年頃だったから横浜にコンサートホールなどは全くなくて米軍のための野球場やテニスコートや体育館だった。オーケストラが多かった。指揮者は近衛秀麿、山本直忠、尾高尚忠、斎藤秀雄、山田一夫、高田信一、上田仁など。1955年音楽大学に進む直前あたりになるとカラヤンがベルリンフィルとやってきたり、クルト・ウェスがNHKのオーケストラに招かれたりしていた。

いよいよ音大に入って入学式の午後から指導してくれたのはニクラウス・エッシュバッハーという中堅の指揮者、たしかオルフのカルミナブラーナ日本初演のコーラスに引っ張り出されたように思う。その後暫くは国立音大とNHKオーケストラとの浅からぬ縁でジョセフ・ローゼンシュトックにマーラーのシンフォニー、ウィルヘルム・ロイブナーからバッハのロ短調ミサとペートーヴェンのミサソレムニスを指導して頂いた。

やがて、卒業してしばらく母校で教鞭を執ることがあり、ロブロ・フォン・マタチッチやジャン・フールネのアシスタントとしてストラヴィンスキーやベルリオーズの合唱指揮を担当させられて謦咳に接しご指導を賜る機会に恵まれた。他にも何人かのN響指揮者と接する機会はあったが特にマタチッチとはハイドンのハルモニーミサ、ストラヴィンスキーの詩編交響曲をいっしょに仕上げる事になってたんなるレッスンなどでは得られぬ沢山の生きた勉強をを教えてもらった。

続く