[トップ] [検索] [管理用]
Jin's Diary&Essey

  #667
DEMOCRACY
Date: 2012/11/16(Fri) 
  民主主義・万民平等・民主的な政治や政体・・・

1945 ( 昭和20 ) 年、敗戦の時小学校 ( 当時は国民学校 ) 3年生 ( 9歳 ) だった。秋に再開した学校で年配の先生が一生懸命に専制国家と民主国家の違いや主権在民を年端も行かないガキどもに力説したけれど理解出来る筈も無かったように思う。

高校に行くと「憲法」を学ぶ事になり、若い社会科の先生が「基本的人権・自由と平等」などを詳しく丁寧に講義してくれた。
しかし「鬼畜米英 ! 」と言いながら行進したり竹槍を振り回したりして育った少年達にはなかなか理解しにくい論理であった。

やがて「平等」とはレベルの一番下に全員が合わせて、縦列でなく横一線の並びで和やかに進む事だ、というような妙な理解に達し「怠惰な振る舞い」をしない者は独裁者であるかのように扱われ兼ねない雰囲気が流れ、? ? の時間が流れた事もあった。

大学に行くとドイツ、オーストリー、フランスその他の国から指導者がしばしば訪れ声楽や器楽、指揮などの指導を受ける事が多くなると前述の「妙な理解」が少しずつ溶けて行き、理解、能力における個々の違いは一概に努力だけに委ねられる事でなく、相互理解、尊敬、思いやり ( 西欧人の場合その底に「信仰」が介在している ) などの綜合力や統一体としてのバランスが大切、というようなことが分かり始めた。

その後、ようやくヨーロッパ諸国を「遍歴」出来る環境になった時、大学で学んだ「綜合力や統一体としてのバランス」を目の当たりにし心の中に次第に DEMOCRACY の概念が根を下ろし始めた。

それからそろそろ半世紀、身の回りに目をやると相変わらず「縦列でなく横一線」のポリシーで止まってしまっている輩を少なからず見てしまう。それは戦争など知らない若い親達、幼時教育から大学院迄の教育者、そしてもっとも心配なのは哲学の極めて希薄な政治家とその周りにうろうろするジャーナリスト ( ぶら下がり取材と称するバカげた質問ぶり… ) 。

「怠惰な振る舞い」こそが「万民平等」だ、などと開き直った未熟な国民性を誰かが気づき修正に務める事をしないと早晩この
日本は消滅してしまいかねない危機感さえ覚える・・・