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Jin's Diary&Essey

  #665
きのうの続き
Date: 2012/11/09(Fri) 
こんな話がある。
Battle Hymn of the Republic というアメリカの歌があり「リパブリック讃歌」のタイトルで日本では親しまれていた。同じ歌を阪田寛夫さんが「友達讃歌」というタイトルで作詞して小学校の教科書に載り日本中の子ども達が大好きな歌だった。

子どものためのオーケストラコンサートの時、この友達讃歌を会場全体で歌うことが喜ばれたものだ。
とくにリフレインの「空にはお日様…(原曲ではGlory glory Halleluja…)」のところで会場一杯に子ども達の声が響き渡り、会場も舞台も感激したものだった。

ある日その状況が一変した。歌の前奏を始めた途端会場のあちらこちらから笑い声が起こり誰も歌おうとしなくなったのだ。
理由は直ぐに判明した。「まーるいみどりの山手線…」というコマーシャルソングを家電の量販店が流し始めたのだった。
リパブリック讃歌が日本中で好まれている事を知った広告制作者が浅はかな智慧を巡らせたのだ。Battle Hymn of the Republicの命は一瞬にして壊されてしまった。

一つの例に留まらない。第九のテーマ、家路のメロディー、ハレルヤコーラス、モーツァルトのセレナーデ・・・
名曲の数々が商品宣伝や温泉紹介やお笑い芸人のくだらないクイズ番組のBGMに使われて荒れ果ててしまっている。なぜ古典の名曲が使われるのか、それは制作から50年が経過して著作権使用料が要らなくなったもの、つまり只で使うことができるからだ。
CMを作る度に作曲家に音楽を作ってもらっていたのではお金がかかる、いっそのこと只で使える昔の名曲を、という安易な姿勢が上記のような香り高い名曲を踏みにじってしまうのだ。

暮れに「第九」を演奏する時、客席の少なからぬ人の心には商品や食べ物や温泉などが浮かんでは消え、肝心のシラーの理念など何処かに吹っ飛んでしまいかねない事を僕は惜しむ。

食べ物と一緒に音楽も又「氾濫」の様相を呈している。腹八分目の心得のように「耳八分目」などということは僕の戯言なのであろうか。皆さんのお考えをBBSに寄せて頂きたいと思う。